すき屋考


夜食にすき屋に行ったら肉1.5盛っていうのをやってて、何でも肉多めでご飯は少い、たくさん食べた気になるけどカロリーは逆に控えめという逆転のメニューで、試してみると売り文句通り、発案者には京都賞をあげるべきだと思った。

しかし今日すき屋で真に驚いた事は1.5盛じゃなくて、店員のお姉ちゃんが異様に接客がよかった事です。メニューを確認する時はニッコリ笑ったりするし、コップを空けたら勝手にお冷やを注いでくれる。これはたとえば松屋ではありえないことだ。

しかし僕は思ったのだが、何も450円でこんなニコニコしてくれなくても、50円のおつり両手で渡さなくてもいいのではないか?『刑務所の中』で花輪和一が、意外と大盤振る舞いの監獄の飯に対して「もっと野菜クズのスープみたいなのを一日一回だけでいいのに」と思うシーンがあるが、気分的にはあれと似たような感じだ。

いくらバイトの時給が上がったとはいえ、安い金でコキ使われてる上にあのレベルの感情労働は割に合わない、もっと対価に見あった労働に留まるべきだ。三波春夫が「お客様は神様です」と言って、これが色々な誤解の元になっているがあれは神様がお客様という事で、芸能というのは元々神への捧げ物だったという事です。

今若者がものを買わないってんで経団連の人とかは悩んでいるわけですが、これは厳密に言うと高いものを買わないという事で、なぜかというと高くても安くてもあまり差がないからだ。ゴールドムントの120万プレーヤーが中身開けてみるとパイオニアの2万円プレーヤーとまったく一緒だったという事件があったが、そんな世界にわれらはいきている、何も変わらないのにわざわざ高い方を買えってのは無理筋です。

そこでどうすればいいのかというと、安い店は安いなりのサービスレベルってことで、つまり牛丼屋はもっとぶっきらぼうでいい。深夜牛丼食いにやってきて肉1.5盛にほっこりしてるような客を相手にあんなニコニコすることはなくて、水なんかも「すいませんお冷や」これを二回言われて初めてしぶしぶ注いでくれるようなものでいいだろう。もう自分で注ぐよこの野郎。

もう自分で注ぐよこの野郎って思ったらもっと高い店に行きゃあいいんで、これで安い店と高い店の区別に妥当性が生まれます。すき屋のお姉ちゃんはもちろんのこと、松屋の中国人のお兄ちゃんだって、言葉通じない楊枝くわえたおっさん相手に愛想笑いしなくて済む。マックのスマイル0円など真っ先に条例で禁止であろう。

もともとサービスに対価がいるって考えが希薄なのが皆無理する理由になっているので、もっとこの考えをラディカルに展開していくべきです。すき屋や松屋くらいならまだぶっきらぼうってくらいで済みますが、牛丼太郎とか更に安い店になってしまうと、今度は負のサービスという概念を導入しなければならない。

つまり客を不愉快にする訳で、こうメニューを投げつけるとか、憎々しげにお釣りを渡すとか、わざとでかい音がするようにどんぶりを置くなど、また食ってる客に向かってはわざわざ不愉快になるような呪詛の言葉を投げつけなければならない。

「豚野郎は食ってる顔も豚そっくりだよ!」
「豚野郎は食ってる顔も豚そっくりだよ!」

趣旨が違うような気もするが、これで日本もよくなる。

(二〇〇八年四月)