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────願わくは、────之を語りて。平地人を戦慄せしめよ────────!! *、“民俗学者《フォークロリスト》” 柳田國男です。

折口です、こんにちは。

読者のみんな、いっぱい戦慄してくれたかな?

二人発狂者が出てるんで、少なくとも私は引きましたね。

夢を……夢を見ていた気がします。とても長く、哀しい夢……。

棚町薫編 第一章「アクユウ」

というわけで、二人目のヒロイン、棚町薫の物語です。


二年前のクリスマスイブ。来ないデート相手を待つのをあきらめた橘は自転車を押しながら帰路につく。

アマガミSSでは、ヒロインが代わると、世界がリセットされます。という事を端的に示すために、橘が振られるところから再びスタート。

はい、そうです。それが正しいです。ほんとうに、すみません……。

一話のレビューでも触れた通り、アマガミSSは六人のヒロインに四話ずつのエピソードで構成されていますが、互いの因果性は全くありません。それぞれ独立したストーリーとされています。

それぞれ独立したストーリーを、なぜか強引に同じ主人公の同じ時間軸の話という事にまとめちゃうんですよね。なんで、同時には起こりえないストーリーが並列する事になる。

そのためには、話が変わる度、それまでの一切合切が無かった事にならざるを得ない。結果的に、それぞれのヒロインが橘に惚れてキスして付き合うと時間が巻き戻る話を六回やる事になります。

いろんな女の子といちゃいちゃしたいねんけど、かといって取っかえひっかえするのは女の子が傷つくし良心も痛む。そのようなジレンマを根本から無かった事にするコペルニクス的ソリューションです。発案者は京都賞ものですね。

女の子には取っかえひっかえされたという事実すら奪うものなので、実際にはよりタチが悪いんですが、ともかくこれが、アマガミSSの反復する時間です。

このアニメの最大の特徴でもあります。早く慣れてください。


(僕、振られたのかな……。明日学校で会ったら、彼女にどんな顔をすればいいんだろう……)

振られたのかな……ちゃうで! 振られたんやで!

自分に不利な現状認識はなるだけ先延ばしにしたい橘です。「明日学校で会ったら」て言うてますが、これは次の日12月25日が登校日って事で良いんですかね。で、「彼女」はさしあたりクラスメイトであるとか。

これは微妙なとこでねえ、たとえば部活に行っとる事にすれば、既に学校が終業しててもこの台詞は成り立つんですよ。で、その場合「彼女」は同じ部の部員やったっちゅう話になる。

これで部活やったら私は次の日行かへんというか、普通に即退部やと思うんですが、まあ同じクラスであれ同じサークルであれ、頻繁に会える間柄ではあったって事になりますね。心理的は距離はさておき。

うーん、それも確定とは言えなくてね。というのも、わしはこれが一番近いんちゃうかなって思ってんねんけど、つまり12月25日が終業式の日という事も考えられる。

ああ、終業式なら全校生徒一堂に集まるわけですから、同じクラスやったり同じ部活やったりとかがなくても必然的に会う事になりますね。じゃあ誰でもええんか。ふーむ、思ったより手掛かりにならんかったですね。

ある意味最重要級の人物なのに、「彼女」に関する手がかりっていうのは、全編通して非常に少ないんですよね。なので、何かありそうな時はできるだけしつこく食い下がっていきましょう。

とぼとぼと雪の中を戻っていく橘。頭の中を、徐々にどんよりした考えが広がっていきます。と、その頭の後ろから、突如一つの手が現われる。


ペシッ

ぶたれる音もしょっぱいのォ!

頭をはたかれて、後ろを振り返る。橘の後ろ頭をはたける人は、アマガミの世界には一人しかいません。


「なーにしてんの?」

棚町薫、ここで登場です。ここまできっかり30秒。

森島のはるかちゃんが自分のパートで初めて登場した時、彼女は橘くんの前を響ちゃんと歩いとって、それを橘くんが遠目に見惚れているという構図でした。それがはるかちゃんの自己紹介だった。そしてこれは薫ちゃんの自己紹介なんです。

登場の仕方それ自体、ヒロインのキャラクターや橘との関係性を端的に出してるわけですね。そこには「胸が……す、凄い……」と言われるだけの人もおれば、話始まって20分くらい経ってからようやく「発見」される人もいる。

またね、このショットの構図にも注目してください。ちょっと暗いのがあれですけど、キレイに三角形になってますでしょ。だからこの子が出てきたとたん、画面が一瞬ピシッて安定する。

5話の頭からここまでの8ショットありますが、確かにどれも斜めってたり、左右どっちかが空いてたりしますね。橘が振られた事を受け、画面も不安定になっているのなら、こちらの三角構図は、橘の無意識の安心感を表わすと言うこともできる。

このショット自体、橘くんが見てるっていう視点でしょう。で、橘くんの安心感は我々の安心感でもある。ヒロインを可愛く演出する事には全力をかけるアマガミSSですが、5話は特にガチです。まだまだ序の口ですよ。

驚く橘に、なぜこんな所でいるのかといぶかる棚町。「もしかして、誰かにすっぽかされちゃった!?」とおちょくってみると……。


「ち、ちがうよ」


「……」
「……」


「……ね、送ってよ」

見通されてしまいます。

ううっ、うぐぐぅっ……。

橘の反応を待つまでもなく、勝手知ったる感じで自転車の荷台に腰掛けて、こう。


「クリスマスケーキを取りにいくところなんだ。ウチはね、毎年お母さんと二人でクリスマスパーティーやることになっててさあ」「へえ……」
「そうだ、良かったらウチに来ない? ケーキ二人じゃ食べきれないから」

ああああーもうっ! もう! あああええなあ、ええなあくそ! やさしいなあ薫ちゃん、やーさしぃーなー!

送ってけって言い方にはなってますが、要は一緒に帰ったげるよ、しばらく一緒にいてあげるよって事ですよね。それをうまく、貸しにならない言い方で言ってる。

そんでもって、クリスマスケーキも食ってけやって言うんでしょ。甘いもん食うたら元気出るで言うとるわけで、なんと中学生の少女らしい励まし方である事か。思いませんか?

そういえばこの時はお互いまだ中学生ですね。にしても、前の相手がだいぶ宇宙人やっただけに、ギャップがすごいというか、無粋な話、森島はこういう事ができただろうかってのは思いますね。

はるかちゃんにも出来できなかったでしょうし、恐らくどのヒロインにも無理だったでしょう。まだ出てきて15秒ですが、自分にしかできない事しかやってないんですよ。キャラクターというのはこういう事ですよ。

キャラクターと言えば、「お母さんと二人」ってもうこの時点で言うてるんですね。棚町家は単親家庭で、これが後々話を大きく動かしていくんですが、ここでもう布石がある。

中学生の時点で毎年二人って言うてんねやから、もうだいぶ小さい頃から父はいないらしい事がわかる。こーゆうとこで橘くんに(そういえば、薫の家は……)みたいな心の声やらせないのがアマガミSSのありがたいところですね。

まくし立てる棚町に状況をうまく飲み込めない橘、「ええ……?」と煮え切らない返事をすると、ぐっと顔を近付けて、こう。


「いーからケーキ屋さんまでは送ってよ! 来るか来ないかはその間に決めればいいでしょ?」

この近さです。

いいですねえ、近いですよ。口臭の嗅げる近さですね。

押し押しで絡んでる風に見えて、最後の決定権は相手に譲ってるんですよね。なので橘も、後々どうするかはさておき、とりあえず一歩目は踏み出す事ができる。好き勝手に振り回してるようで、相手が楽になるよう配慮してる事がわかります。

精神的に参ってる人に、どう声をかけるかって事ですよね。うまく気を紛らわせて、あまり考え込まないようにして、目線を外に向けてあげるのと、ウチの死んだ犬みたいな顔やな言うてクスクス笑うてくれるのと二通りあるわけですよ。

個人の性的嗜好はともかく、棚町は前者なわけですよね。たとえばやりがちな事で、女はいくらでもおるだとか、振られても次があるだとか、振られた事を意識させるような事を棚町は言わない。

我々が決して橘くんに同情しない理由がわかって頂けるかと思います。


「ほらー! レッツゴー!」

棚町を乗せて、自転車を漕ぎ出す橘。フロントライトが灯ります。

説明する事、何もないよね。すばらしい演出です。


オープニング

という感じの導入部でした。

いやあほんと見事ですよ。アマガミSSの導入部と言うと、わしは梨穂子ちゃん編も綺麗で非常に好きなんですが、やはり薫ちゃん編は格別ですね。

どっちもファーストシーンとラストシーンが対応してるんですよね。しかも棚町編は、そのラストシーンをDVD化の際に丸々作り直しています。

そのラストシーンがまた抜群に良いんですよね。入りが良くて結びも良いので、もう後は真ん中が良ければ傑作なのは保証済みですね。

それはもう本当に何も保証してないに等しいと思うんですが、ともかく、私も自転車のライトが灯る演出は良いなと思いました。

あれはええよなあ。そもそも自転車ってのがええよ。自転車に乗る、漕ぐ、駆ける! もう青春には絶対付き物でしょう。しかも二人乗りですよ。

確かにラブストーリーでアニメで二人乗りというと、我々けっこう強いコノテーションを持ってますね。


ここでアクセル全開、ハンドルを左に!

男女二人でできるあらゆるイチャイチャを揃えるアマガミSSですけど、男と女で自転車に乗るのは、いやそもそも自転車が出てくるのは薫ちゃん編だけなんですよ。薫ちゃん編の最初のシーンと、薫ちゃん編の最後のシーン。

そして二つのシーンが対応関係を作り上げる。乗り物でヒロインを見てみるのも面白いですね。たとえば中多は黒のセダン(?)にメリーゴーランド、七咲はコーヒカップにブランコ二人乗り。絢辻編だと橘はヒロインをおぶってましたね。

紗江ちゃん時も一回おぶってたよね。自転車二人乗りとおんぶとじゃ全然ちゃいますね。やっぱり薫ちゃんは自転車なんですよ。後ろに乗ってるんですよ。

その辺の意味合いについても、後々触れていきましょう。

この後、きっと何度もこの導入部に戻ってくる事になるでしょう。わしの一番好きなアマガミSSのファーストシーンでした。


Aパートです。黒いバックから羽根が舞い降りる。本物の羽根ではなく、あくまでイメージ上の羽根ですね。

水のイメージが強かったはるかちゃん編に対して、薫ちゃん編では空や風を連想させるイメージがよく出るようになります。

その羽根が、教室の机に突っ伏して寝ている橘の耳に止まります。すると、ちょうどその箇所に棚町が……。


カプッ


橘「うおあああーーっ!」


アマガミ。

なんやそれ? 怒るで。

不意打ちに飛び上がって驚く橘に、棚町は腹を抱えながら「いいよいいよそのリアクショーン!」とからかいます。で、相手が棚町だとわかった橘、「なんだ薫かあ、イキナリ人の耳噛むなよ!」と、ちょっと赤くなって返す。

まるでイキナリじゃなければ良いみたいな言い方……。

そこでさらに図に乗った棚町、「んふふ、気持ちよかった?」と挑発します。これに少しムッとなって、「大したことないよ!」と今度は左耳を突き出す橘。


橘「ほら、噛めるもんならこっちも噛んでみろよ!」


……!!


橘「うおあああーーっ!」


ここな、実は右の女の子がちょっとメガネ変わっとんねん。

全く同じですよ。何でそんなすぐバレる嘘つくんですかね?

全く同じですね。ていうかさっき全員こっち見てたのに、また元通りに戻っとるわけで、この子たちはどんだけこの光景を見慣れてるの?

全エピソード通して、他人の色恋沙汰には日本人離れした寛容さを発揮する輝日東高校の生徒たちですが、まあ単に見て見ぬふりしてるだけかもしれんですね。

胆力鍛えられますな……。


しばらく二人のイチャコラをお楽しみください

お? なんかちょっと新鮮な絵やね。

教室の外から中を見てますね。学園モノだと割とありふれてそうな構図ですがアマガミSSではかなり珍しいです。だいたい外から見てる時は反射して空が映ってるんですよね。

そもそも教室をこんな風に覗き見せえへんかったですよね。はるかちゃん時は学年が違うから、教室見ててもしゃあなかってんし。そういやこの子、はるかちゃん編でもこうやって首に腕回しておいおいおーいってやってたよな。

六人の中で棚町だけがパーソナルスペースが異様に狭いんですよね。いくら付き合いが長いとはいえ、例えばもっと付き合いの長い桜井もここまでは寄ってこない。

あっちは元々おぼこい上に、惚れた弱みがありますからね。まあその分完全の素の時は超近かったりすんねんけどね。薫ちゃんと梨穂子ちゃんの対比はおもろいですよ。

このポーズであんたとあたしの仲やねんから、とじゃれつく棚町に、「つまり、他人て事だよな?」とにべもない橘。棚町も負けず「じゃあ……これでさよならね」と悪ノリします。

いいですね、他人同士やったら絶対言えない事ですよ。そろそろちょっと誰か来てくれへんかなあ。


このまま二人のイチャコラをお楽しみください

二人が中三からの付き合いである事を確認している間に、第五話のタイトルが入ります。橘純一のなんとも言えない後ろ頭。

「思い返せば、はやー」って薫ちゃん言うとる場面なんですけど、この時すんごいちょっとだけ眉毛が動くんですよね。スタッフの細かい愛情ですね。

タイトルといえば、森島編の一話のタイトルは「アコガレ」でした。今回「アクユウ」ときて、この後に控える中多編の一話目が「コウハイ」というタイトルです。一話目のタイトルがだいたい二人の関係を表しますね。

それが2クール目になるとちょっとズレてくるのもおもろいですね。1クール目に色々出しておいたんで、わざわざ二人の関係性から話始めなくてもええっちゅう判断なのかな。


「よぉ大将! また夫婦漫才か?」

二人の間に入っていける数少ない一人、梅原です。橘と棚町と三人でよくつるんでいる事は第一話の時に話しました。

でも橘くんは純一呼ばわりなのに梅原くんはあくまで「梅原くん」なんでしょ。こういう残酷さをわしは見逃しませんよ。


梅原「棚町も大変だよな~」橘「大変なのは僕の方だ!」
棚町「いいのよ梅原くん、あたしが好きでやってる事だから……」
梅原「かあーっ健気だ、泣けるぜ!」

この空気に耐えられない生徒たちは教室の外で時間を潰しています。

そう言われてしまうと、もうそのようにしか見えへんくなってしまうような解説……。


話は変わり、棚町の話題は地元の新スポット「ポートタワー」に移る。
三人で遊びに行こうと呼びかける棚町だが、橘は気乗りしない様子だ。

地元の新スポット言う割には棚町編以外ではポートのポの字も出てけえへん謎の建物、ポートタワーですな。なんでも水族館や展望台やあって一人じゃ行かれへんデートスポットらしい。

銚子ポートタワーがモデルになってますね。それ以外にも水族館があるのは東京タワーとか、デートスポットなのは千葉ポートタワーとか、色々混ざってます。そういえば水族館は結局登場しませんでした。

まぁ銚子ポートタワー自体はね、わしも行ってみてんけど、華やかなデートスポット言うよりはこう、もうちょっと穴場っぽい場所ですからね、家族で行きたくなるような。景色は非常に綺麗ですよ。


ノリノリでポートタワーに行きたがる棚町ですが、橘は露骨に嫌がります。ある意味、二人の間で葛藤らしい葛藤というのはこれだけですね。

作中橘くんオドオドする事はあってもプリプリする事って無いですからね。ここまで拒否感を現わにするのも珍しい。橘くんは基本受け入れる人なんですよ。

受け入れたい事しか起きないですからね。まあ確かに珍しい。「どうせカップルばっかだし」と言うてますが、よっぽどカップルちゅうのは目にしたくないのか。

あるいは、よっぽど高い所には登りたないかとかね。

つまらんつまらんとごねる橘に対して、棚町はまだまだ食い下がります。こんな感じ。


「他の家族連れだって、多分いるわよ……ねぇ、あなたぁん」
「って、僕たち家族じゃないだろお!」

これで付き合ってないんですよ。

梅原。梅原よ。君は今笑うてるけど、ひひーんて笑うてるけれども、この中でポートタワー行かれへんの君だけやで。君最初から行きたい言うとってんで。ええのか君は、ほんまにええんか?

こうなってしまったら、もう二人を止められるのはこの人しかいません。ガララッ! と椅子を引く音が聞こえて、こう。


「梅原くんたち、そろそろ授業が始まるから、席に着いてくれないかな」

学級委員の仕事。

すばらしい! ああすばらしいな詞ちゃん、この三人指して「梅原くんたち」!

梅原一番何もしてないですからね。

梅原くんは可哀想にね! でもこういう時に詞ちゃんは、橘くんの名前も薫ちゃんの名前も呼んであげないんですよ。この笑顔で、この言外のニュアンスですよ。

こうやって徐々に気の強さを見せ始める絢辻です。棚町も感じるところあったのか、「おカタいんだから……ねぇ?」と更に橘にじゃれかけますが、なんと「まあ、そう言うなよ」と、あっちの味方をされてしまいます。

「クラス委員って立場があるんだからさ」って、別に間違うた事は言うてへんけど、これ響ちゃんの擁護してた時と全く同じロジックですよね。立場があれば仕方がない。歩くアイヒマン実験ですな。

すると、今度は露骨に棚町が不愉快になる番です。


「ああーん、どっちの味方なのよ!」

恵子ちゃん! いつから居ったんや! 恵子ちゃん! いつから居ったんや!!

棚町のパンチをギリ避けた橘、しかしバランスを崩して後ろから落っこちてしまいます。すると血相を変えて「ごめん!」と駆け寄る棚町。そこで、橘が見たものは……。

これは……これはもしかして!?


「……大丈夫?」

パン

チラ

チャーンス!!

我々には見えません。

ファーーーック! ファアアーーーーッック!!


「パ、パ、パンチ……」
「パンチ? おお、よく避けたよねあたしの右フックを」


「…パンチラ…」

この頭さえ無ければ見えたのに。橘くんに頭なんか無ければよかったのに。ていうか実際頭いらんやん。下半身だけで動いてればええやん。って思てますよね。

思てないよ。


「馬鹿ーーー!!!」

今や! A→Bリピートや!!

倍速再生を組み合わせるんや!

んんんんんんんーーー、イイッ!!

続けます。


保健室で目を覚ます橘。すかさず棚町が入ってくる。
「純一! 気付いた?」

当たりどころが悪かったのか先程の一発で完全に伸びてしまった橘。フェードアウトして気がつけば保健室でした。

綺麗なストマックブローでしたもんね。変な姿勢だったのもあるし横隔膜止まっちゃったんでしょうね。

微妙に記憶まで飛んでしまったようです。「僕、どうして保健室に?」「さっぱり、記憶が……」と要領を得ない。


「……覚えてないの?」

あーいい、いーい顔だ。悪い顔がかわいい女の子はさいこうにかわいい。

お前が一人転んで突然気絶したんやで~と丸め込もうとする棚町ですが、さすがに通用しませんでした。「お前が殴ったんだろ!」と、何とか思い出したのか、状況から察したのか。

この後話してるのを聞くと、中坊の時にもこうやって運び込まれた事があったらしい。長い付き合いでの勘所ってとこでしょうかね。

しばらく寸止めしてたのしてないだの言い争いが続きますが、まだ橘は痛みが引いてないんですね。いたたっとお腹を抱え込むのを見て、棚町は急にしゅんとしてしまいます。


「ごめん……。……ほんと、ごめんなさい」

あら急にしおらしい。

「ずっと、 着いててくれたのか?」と聞く橘。ずっと着いててくれとったらしい。まぁ自分で殴って自分で気絶させたんやからそらそうやろとは思いますが……。

その前にこの学校、学校医やら養護教諭やらは何してんの? 保健室は学校公認のベッドルームではありませんよ。

ずっと着いててくれたって割には、橘が起き上がった時は側におらんかったんですよね。

薬でも探してたか、案外パニクってどうしようどうしようって右往左往してたん違うかな? それで、気付いたか! ってカーテン開けて入って来た時、顔が見えないでしょ。けっこうすごい顔してたかもしれませんよ。

どの道こっちには見えない顔なので何とも言えないですが、いずれにせよ「そんな顔されたら怒れないだろ」って、しゅんとした棚町を見て許してまうんですよね。失神までして、ある意味死にかけたのを、そう簡単にほだされていいのか。

まあこの失神はセックスの代替行為なんですよ。フランス語でオーガズムの事を「小さな死 Le petit mort」、ル・プティ・モールって言うでしょ。セックス&バイオレンスですよ。

死 mort は女性名詞なので La petite mort ラ・プティット・モールですね。

……!! はっ、恥ずかしいー! はあっ、は、恥ぁずかしいぃーー!!!


「殴られはしたけど、その、薫の見せてもらったし」
「えっ? ……!!」「あっ……でもま、そういう事だから、イーブンてことで!」

こうしてさっと水に流してしまいます。この辺はさすがに扱いが上手いですね。

貸しにならない言い方ってのがさっきありましたけども、今度は橘くんが気を利かしてあげてますね。相手の過失を帳消しにしてあげます。こうお互い気を使う描写を入れて、関係を一方的にしないのはいいですね。

パンツ見ちゃったのとみぞおち殴られて気絶したのとじゃあ全然釣り合い取れてませんけどね。

どっちもプラスですからね。


「お前に心配してもらえる事なんて、ほとんどなかったからな」
「そうでもないと思うけど……」


「……思い出してたんだよね」
「何を?」
「中学の頃も、こうして二人して保健室でサボった事あったでしょ? 憶えてる?」

ちょっとええ場面っぽくなってますが、これ橘はサボってたつもり全くなかったんですよね。中学ん時もお前にぶたれとったやろがっていうギャグになっちゃう。

でもやっぱりこれちょっとええ場面ですよね。思い出してるって事は、今ここには無いって事なんですよ。


「薫は変わらないよなあ。中学の頃から、めちゃくちゃな事ばっかして。輝日東の核弾頭! なんてアダ名までついちゃって」
「その名で呼ばないでよ」