モコペコ


モコは黄色いオスのポメラニアンで、食い意地が汚く、ずうずうしい上にバカなのか利口なのか今ひとつわからない、しかし俺のことが世界で一番好きな元気のよい犬だった。ペコは当時はめずらしい黒のメスのポメラニアンで、モコより一年ほど若く、うちに来たときはまだほんの子犬だった。

動作の一つ一つが野暮だったモコは、しかし野暮なりに精一杯ペコの世話をやき、気がついたらペコはおそろしく気難しく頭のよい、でもってリアルで商店街の人気者になるほどの美犬になって、性格の素直なモコはすっかり尻に敷かれてしまった。

街に散歩に出ても、圧倒的にペコの方に人気があるので、誰もモコのことは見向きもしない。しかしペコは非常に気難しい犬で、人が手を差し延べても全く興味を持たず、するとモコがその差し延ばれた手に自分で近付いて自分で頭を人の手に押しつけて、するとそのずうずうしさに大抵の人はウケながらそのままモコの頭をなでてくれる。するとペコはそれが気に入らなくてキャンキャン吠えたりたまにモコに噛みついたりと、とんでもないことをするのだが、噛まれたモコは一瞬痛そうにしてても五秒後には全てを忘れているという素晴しい犬だった。

モコが死んだのは七年前くらいで、そのときまだ十歳ちょいだった。食い意地が汚く、何でも食べてしまうので、太って、内蔵を悪くしてしまって、いろいろやったが結局だめだった。散歩が俺の次に好きだったので、いつも遊んでいた公園の隅に、幾つもの木の影が重なるひっそりした場所に埋めた。

独りになったペコは、まず食の細いのが治った。モコ並に何でも食べるようになった。人から撫でられてもじっとしているようになった。それから、病気になるまで咳ひとつしなかったモコに比べ何かと弱くて体調を崩しがちだったのが、医者の手にまったくかかる事なく元気そのもので毎年を過ごすようになった。モコが悪いの全部もらって行ったんだと母は本気で言っていた。

結局大きな病気一つかからず、ペコは十七歳になり、今朝まで元気に生きた。貴婦人のドレスのような艶の良い黒の毛並みはごま塩で所々禿になり、目も白内障でほとんど見えず、耳も遠く、虫歯を抜いた顎は自力で持ち上げることができなくなっていた。が、毎日三回散歩に出かけ、夜には食い物をねだっていた。

朝方にむっくり寝床から起きあがり、家の中を一回りして、帰ってくると大きな咳をしたらしい。心配になった母はペコを抱えあげて、撫でてやったあと寝床にもどし、トイレに行って戻ってくると、もどした状態のまま動かなくなっていたという。これから坊さんを呼んで、供養して火葬にするという母の声は、しかしおだやかだった。俺もショックだったが、しだいに悲しくなくなった。長生きした。たぶん、モコの分まで生きた。

散歩より家にいるほうが好きなペコだったが、もう七年も待ち惚けているモコの側に埋めてやるとのことだ。一緒になってしまうとモコはまたいじめられてしまうだろうが、モコは世界で三番目にペコのことが好きなので、というよりたぶん本当は、ペコのことが世界で一番好きなので、ペコのいつもの意地悪くらいは喜んで五秒で忘れることだろう。二匹はとてもお似合いで、すばらしいカップルであり、それぞれ最高の犬であった。私たちの家族は彼らと共にいたし、彼らは私たち家族の宝物で、私たちは家族だった。

今の家に引っ越して、最初はモコで、お前のお父さんだろ、今日はペコまで、結局全員見送ってしまったよと母は言った。年末には皆に会いに行くと言うと、ところで朝ごはんは食べたのかと言われた。まだ食べてない、と答えると、じゃあそろそろ食べなさい、と言われて、わかったよと答えてお互い受話器を置いた。

(二〇〇七年十月)