これは本当にすばらしい映画で、内容としてはキューバ人が朝起きて出勤して、働いて、昼になって、飯食って、働いて、帰宅して、夕方になって、教会に行ったり野球を見に行ったり、どこにも行かなかったりで、夜になって、本を読んで、子供をあやして、眠って、また朝になるというそれだけの、筋もセリフもほとんどないようなランダムな映像の塊なんだけど、しかしこれが本当にすばらしい映画で、ある老女が息子にコーヒーを入れ、ある男が自転車で埃っぽい道を進み、ロナウドをさらにアホっぽくしたような顔の子供が1から20までの数字の数え方を憶え、しぶい顔の労働者が鉄道の枕木のボルトを力いっぱい締め続け、枯れきった表情の豆売りの女が街路でじっとたっているというような、数えきれない本当にどうってことないシーンが、監督自身の言葉どおりエドワードホッパーの絵のような、不思議な静けさと眩しさとをもってこちらに迫ってきて、映画が進めば進むほど、それら一人一人の日常がくっきりと立ち上がってきて、彼らの一日が暮れていくにつれて、近年稀にみるほど胸が一杯になった。ライフがビューティフルだというのは誰もがある程度気付いている事で、映画なり何なりの素材としては衒いが無さすぎるほどシンプルなことだけれど、だからこそほとんどスパイス(のようなもの)に頼ることなく、単にそれだけをドンと差し出して、それだけで感動的である作品に出会えたというのは本当に得難く嬉しい事で、それは例えばこのような情報と事実と思いつきを修飾でこねくり回しているだけの、一つの段落がいつまでも終わらないこのような日記よりも、NさんがこないだGREEで書き始めた日記「今日の晩ごはん:カレー」のような、もうほとんど1ビットの情報もないような、信じられないくらいのやっつけ日記のほうが、はるかにすばらしく、面白く、ワンダーに満ちていると、本当に本気で考えるようになって、カラオケで何歌ったとか一昨日食べたラーメンの写真とかパケットの無駄にしかならないからわざわざはてなで書くなとか思っていた昨日の俺からすればほとんど地動説のようなインパクトが俺に及ぼされて、できれば多くの人がこのような感動を味わえたらいいなと思うのだけれど、この映画は明後日までしかやっていなくて、渋谷ユーロスペースで14(木)14:30、15(金)12:30という俺のマイミクのほとんどは見る事が不可能なスケジュールという事は極めて残念である。まあ逆に言うと俺は俺のマイミクの中で唯一この映画を映画館で見れたラッキーボーイということで、人生の勝ち組負け組というのはこのようなささやかな場面で別れていくものである。残酷な事を言っているようだが、事実なのだから仕方がない。
(二〇〇六年十二月)