To The Moon: レビュー


ハイみなさんこんばんは。今夜のゲームは『トゥ・ザ・ムーン』です。『トゥ・ザ・ムーン』、のムーン、ムーンというのはお月さまですね。月へ。月に向かって。そういうタイトルですね、ロマンチックですね、でも、このゲームほんとはとっても怖い、ゲームなんですね。怖くて、いびつで、何ともしれん不思議な、そんなゲームですね。『トゥ・ザ・ムーン』、今日は、このゲームの話をしましょうね。

このゲーム、作ったのはアメリカのフリーバード・ゲームズですね。これはカン・ガオという、中国系のアメリカ人の若者ですね、この人が、デザイナーをやりました。ディレクターをやりました。それからイラストも描いて、音楽も作りました。お話も書きました。ほとんど一人で作りました。ですからこれは、インディーゲームなんですね。RPGメーカー、RPGツクールですね、これで数人で、でもほとんど一人で作りました。そんなゲームが、ぬっと出てきて、おお騒ぎになって、ドイツ訳が出て、スペイン訳が出て、フランス訳が出て、アメリカのゲームですけども日本語版も出ました。インディーゲームの面白いところです。

『トゥ・ザ・ムーン』、どんなゲームでしょうか。RPGツクールで作ったゲームですね、ですから日本のRPGですね見た目は。日本の、90年代のRPGですね。RPGツクールこれは色んな作り方できますがこのゲームはあくまでベーシック、普通に作られていますね。ですからマップチップがあって、マップがあって、人があって、人が四方向に動きますね。別の人がいますね。人がいて私ボタンを押します、ボタンを押すとしゃべりますね。そうするとわからなかった事がわかって、話が進みます。それで話を進めて、進めて、進めて、それをずっと上から見下ろしている、そういうタイプの『トゥ・ザ・ムーン』はゲームですね。

それでこのゲームは、戦闘がないんですね。それから、パラメーターもないですね。パズルもほとんどありません分岐もありません。あるのはフラグ、お話のスイッチですね、このスイッチを、マップを歩いたり、人と話したり、マップ上の何かを見つけたりして、押していきます。そうすると話が進みますね、別のマップになりますね、それでまたスイッチを探します。その他やる事はほとんどないんですね。ですからこれはお話を、一つのストーリーを体験する事、ストーリーを味わう事以外はなんもやる事のないゲームなんですね。何というゲームなんでしょうね。

こういう話をすると、ゲーマーの皆さんはいやな顔をするんですね。ゲーマーというのは、これは生意気な人たちですから、ゲームにお話なんてのは要らん、と、こういう事を言いますね。お話ちゅうのは邪魔なだけやとか、あってもなくてもいいとか、ふりかけみたいなもんとか、こういう事を言いますね。怖いですね。言いたい放題ですね。それでこういう、お話がゲームになってるゲーム、誰がやっても順番が変わらないゲーム、迷ったり間違えたりできないようなゲームをやると、こういうのはゲームじゃない、本当のゲームと違う、こういう事を言うんですね。

そんな生意気なゲーマーとは誰の事か。もちろん私の事なんですね。

私からすれば、『トゥ・ザ・ムーン』はゲームではないんですね。じゃあ何かというと、ストーリーなんですね。ゲームのような語り口を持った、これはストーリーですね。ですからゲームではありません。でも、関係ないんですね。『トゥ・ザ・ムーン』が公開されたら、アメリカのゲーマーは皆わあーってなりました。イギリスのゲーマーも、わあーってなりました。それからフランスも、ドイツも、世界中のゲーマーがわあーってなりました。それから賞もいっぱい取りました。ゲームスポット、2011年のベストストーリーに挙げました。インディーDB、ベストシングルプレイヤーに挙げました。ワイヤードも、RPGファンも、面白い面白いと賞をあげました。

賞を取ったから面白いなんて事はありませんよ。でもいろんな人が、このストーリーを楽しんだんですね。楽しんで、味わって、そして感動しました。『トゥ・ザ・ムーン』のストーリーこれは、ナイーブなナイーブな、ナイーブなメロドラマですね。そんな『トゥ・ザ・ムーン』私はわりに出てすぐに遊びました。通して4時間短かくて3時間、5時間はかかりません、ひと思いに遊びました、ひと思いに遊んでこれが見事によく作られていたんですね。音楽が良くって美術が良くって、やっぱり語り口が良かったですね。ゲームの見せ方でお話を見せるとこういう表現ができるのかと、いうのが勉強になりましたね。ですから『トゥ・ザ・ムーン』は私思い入れがありますね。

『トゥ・ザ・ムーン』どんなお話なんでしょうか。

まず最初に、真っ暗な夜の空が映るんですね。それからキャメラが降りて、きれいな満月が映る。夜の海が、水平線が映りますね。そこに、『トゥ・ザ・ムーン』というタイトルが出ます。その海を眺める灯台があって、ゲームのメニューが出てきますね。ビギン、ロード、エグジット。はじめから、つづきから、やめる、左から順に並んでるわけですね。ビギンという文字がちょうど灯台のところにかかっています。そのまま選ぶと月の光が、すうっと灯台を照らす。こういう始まり方をします。うまいねえ。

この灯台は崖の上に建ってるんですね。その隣に立派な屋敷があります。この屋敷の主人がジョン・ワイルズという男です。ジョニー、なんて呼ばれて、この人がお話の主人公ですね。このジョニーがどうやら死ぬらしいんですね。もう歳なんですね。自分のベッドで寝たきりなってもう意識もないんですね。それでこのジョニーには家族がおりません。使用人の女と、その子供、それからお医者さんしか死ぬ時に周りにいないんですね。まあ寂しいね。そんな寂しいところでコンコンとノックの音がする。開けたら若い白衣の男女が二人出てきました。えらい機械の入った箱も持って現われました。いきなり出てきて、なんともミスマッチな格好をしてるのが面白いですね。この二人がプレイヤーキャラクターですね。

この二人はジョニーが呼んだんですね。まだ容態のいい頃に、自分が死にそうになったら、来てくださいと頼みました。この二人は何をする人たちなんでしょうか。この二人すごい二人なんですね、さっきの機械で、人の願いを何でも叶えちゃうんですね。でも本当に何でも叶えちゃうと大変ですから、叶えちゃった事にして記憶だけ書き換えるんですね。そうすると書き換えられた人は、自分の願いは叶った。自分の人生思うように行った。自分の人生いい人生だった。と、幸せな気持ちになってそして死ぬんですね。怖いですね。皆さんお願いしたいですか。こんな怖い事ジョニーはお願いしたんですねえ。

ジョニーには願い事があったんですね。どうしても叶えたい願い事がありました。叶えずには死にきれませんでした。それでこの二人を呼んだんですね。そんな願い事、一体何だったのか。それは皆さん勘がいいのでお気付きですね。ジョニーの願い事それは『トゥ・ザ・ムーン』ですね。月へ、お月様の所へ行きたいというんですね。それがジョニーの願い事。ですからプレイヤーのミッションは、ジョニーにその通りの記憶を作ってあげる事ですね。ジョニーの記憶に入りこんで、ジョニーの人生に入りこんで、ここでこうなったから月に行けなかった、こうしてれば月に行けた、という人生の一瞬を探して、それを変えてやる事ですね。

ですからこのお話は、SFなんですね。でも、SFじゃないんですね。ミステリーなんですね。ジョニーはなぜ月に行けなかったのか。ジョニーはどこで間違えたのか。そもそも何で月になんて行きたいのか。そういった謎を解いていくんですね。それでジョニーの記憶の中に入っていくんですが人間の記憶というのはこれは込み入ってますから、すぐには何が何だかわからないですね。ですから一番近い記憶から入りますね。ジョニーがまだ元気、ちょうど白衣の二人を呼ぼうとしている場面に入るんですね。それでもう一歩昔にさかのぼりますと、奥さんを亡くしてジョニーがピアノを弾く場面になりますね。それで更にさかのぼりますと、具合を悪くしてる奥さんにジョニーが同じピアノを弾いてあげる場面になるんですね。

こうやってどんどん、どんどんさかのぼっていくんですね。そうするとだんだんもう一人の主人公が出てくるんですね。それがジョニーの奥さんのリヴァー、リヴァー・ワイルズなんですね。この名前がいかにも洒落てますね。ムーンでリヴァーでムーン・リヴァーというのはこれは『ティファニーで朝食を』ですね。オードリー・ヘプバーンが歌ってましたね。あなたどこに行っても、私一緒に行きますよ、なんて歌ってましたね。ですから作ってる人の中では、リヴァーのモデルはこのオードリーかもしれないですね。でもリヴァーはブルネットじゃなくてレッドヘッドなんですね。それでこのリヴァーという奥さんが、ジョニーの記憶のあらゆる場所に現れるんですね。ジョニーの記憶はリヴァーの記憶でもあるんですね。

それでリヴァーはアスペルガー症候群なんですね。コミュニケーションがうまくとれないんです。そんな二人の晩年決して幸せじゃなかったんですね。すれ違ってばっかりなんですね。ジョニーが奥さんを愛してないかというと、とっても愛してるんですね。具合悪い奥さんの部屋に苦労してピアノを運んで、弾いて、君に書いた曲だよなんて、言っても奥さんには届かない。奥さんは奥さんでこれは一所懸命、折り紙でウサギを折って、たくさんたくさんウサギを折って、あなたこれ分かる、これの意味分かる、って必死で聞いてくるんですね。でもジョニーはその意味がわからない。お互い一所懸命伝えてるのにちっともちっとも伝わらないんですね。そこらいかにも怖くって、可哀想だな~と思いますね。

こういった折り紙のウサギとか、ピアノとか、二人の思い出の品々が、記憶を辿っていく扉になるんですね。そうやって二人の記憶をどんどんさかのぼって行きますといろんな事分かってきます。リヴァーがあの灯台を愛していた事。ジョニーが灯台の隣に家を立ててあげた事。その灯台の上で二人で踊ったダンス。それを照らしていた満月。それから結婚式。二人の人生をさかのぼりながら、二人の人生のさまざまな場面を、プレイヤーは証していくんですね。最初からすれ違っていたわけではないんですね。二人の間美しい美しい、愛があったんですね。二人で馬に乗って草原を駆け抜けた一日、その躍動感、疾走感。そのような日々があったんですね。でもやがて色あせて、壊れて、失われていくんですね。

思い出すという事。今はもうないという事。これはノスタルジーのテーマですね。『トゥ・ザ・ムーン』は、SFの道具を借りたミステリーの型を借りたノスタルジーのお話なんですね。そこで、このお話が借りているもう一つのフォーム、90年代の日本のRPG風という語り口のフォームも生きてくるんですね。あのマップチップがあって、マップがあって、人があって、そんなような画面で、そんなような語り口で、そんなような動かし方で、私たくさんの人々と出会えたんですね。たくさんの町を、道を。迷宮を歩いて回ったんですね。妖精や怪獣やアンドロイドをこの目で見てきたんですね。

ですから私はいつのまに、いつのまにジョニーとリヴァーが過ごした灯台の前で、私もここにいたと感じるようになったんですね。二人の過ごした家の廊下、私もここにいた。二人の結婚式。二人の草原。私もここにいた。ウサギの折り紙。ピアノ。私もこれを見た。こう感じるようになったんですね。ジョニーはもうベッドで寝たきりになっている老人じゃあないんですね。それからリヴァーも、灯台の横に立った墓石ではないんですね。私はこの二人昔から知っている私はジョニーを知っている私はリヴァーを知っている。そう思うようになっていたんですね。

これは若い皆さんでしたら感じ方が違うでしょうね。そういうのは錯覚だと言ってくださるかもしれません。その通りかも分かりませんよ。

ジョニーの記憶を更に更にさかのぼって行きますと、だんだん何かおかしいんですね。ジョニーがリヴァーの障害の事あんまり知ろうとしなかった事がわかる。自分の子供の頃好きだった本に不思議と冷たい事がわかる。リヴァーにも、自分にも、時々すごく他人行儀になるんですね。それで、何だろうと思ってると、二人の最初の記憶、最初に出会った場所に出ますね。二人の通っていた高校です。それで、ジョニーが初めてリヴァーに話しかけますね。君いつも本読んでるね、それ面白いの? 本も面白いけど僕と映画に行こうよ、とそんな誘い方をするんですね。それが二人の人生の始まりだったんですね。

リヴァーは不思議な子なんですね。障害のせいなんですがそういう障害の事を誰も知らんから変な子という事になっている。それでリヴァーは学校で友達がいないんですね。ですからお昼の時も一人でごはん食べてます。それをジョニーが見てるんですね。見ててあの子いいな、あの子ガールフレンドにしたいなって友達に言うんですね。あの子変な子、特別な子、特別な子と付き合ったら僕も特別になれる。こんな事言うんですね。とんでもないですね。しかもそこで、ジョニーの記憶はおしまいになります。そこから昔はもう白い靄の向こうなんですね。忘却の彼方なんですね。

それで困りましたね。そんな理由聞かされても、どうしたらいいのか分からないですね。ジョニーというのはそんな怖い、いやらしい人間だったのか、とお思いになりますね。それで困った、困りましたけど、もっと困ってるのは白衣の二人なんですね。今までの記憶、どこを変えればジョニー宇宙飛行士になるのか、見当がつかないんですね。そんな話一個も出てこなかったんですね。リヴァーの話も気になりますけど本当はそれは彼らの仕事じゃないんですね。ジョニーが月に行く事が彼らの仕事なんですね。

ジョニーが月に行ってくれないと仕事終わらない、さあ困った。困ったからどうする。手当たり次第何でもやります。これがもうドタバタなんですね。コメディーなんですね。この二人はコメディリリーフなんですね。しんみりした場面に茶々を入れる役ですね。わざわざ茶々を入れるところがメロドラマなんですね。そんな二人が必死であたふたするところがいかにも面白い。いろんな場面に無理くり出てきて月はいいぞ、NASAはいいぞ、宇宙飛行士になろう言うんですね。二人が馬に乗ってるところに後ろから馬乗って現われて、宇宙でポニーにのりましょーなんて叫んで走って去るんですね。全部失敗します。

やっぱり何かが足りないんですね。何かがボタンが掛け違ってるんですね。それで、ジョニーという男、この男の過去に何かがある。靄の向こうに何かがある。そういう話になるんですね。それから色々あって、靄の向こうに行けるようになります。ジョニーの一番の過去が明らかになる。これで私びっくりしましたね。いい意味でも悪い意味でもこれがびっくりするんですね。

ジョニーには双子の兄弟がおったんですね。ジョーイという名前の自分そっくりの兄弟がおったんですね。それでそのジョーイが、ジョニーが本当の子供の時、交通事故で死んでしまったんですね。それでジョニーも、その事故の影響で、それまでの記憶をなくしてしまってたんですね。靄がかかっていたのは忘れてたんじゃなくてその交通事故の影響だったんですね。

それまで影も形もなかった双子の兄弟なんてのが出てくるんですから、これはもう完全に禁じ手なんですね。でもやられた方はこれびっくりしますね。それで、ジョニーは事故になる前に、本当はリヴァーと会っているんです。カーニヴァルの夜に、まだほんの子供ですね、二人偶然会って、二人きりでお話をしてそれで気が合って、また来年ここで会いましょうなんて言って別れた。その出会いが本当の二人の出会いだったんですね。でも事故でその記憶をなくしてしまった。それだけではありませんね。ジョニーは事故でジョーイを失って、半分はジョーイとして生きるようになるんですね。ジョーイが好きだった本を読んで、ジョーイが好きだった食べ物を食べて、自分がそれを好きなんだと思いこんで、一生を過ごしたんですね。

ですからこれはとんでもない、お話なんですね。もうジョニー可哀想可哀想、リヴァーも可哀想ジョニー可哀想。自分が好きだと思った本、それは嘘だった。自分が好きだと思った食べ物、それも嘘だった。何という人生かと思うわけですね。それから自分が愛した人。よく知ってるようで肝心な事は忘れていた。忘れていたけど向こうは憶えているから、それでどんどんすれ違っていくわけですね。それを一生気づけなかったわけですね。哀れですね。この人が過ごした人生何だったんだろう、この人どんな世界を見てきたんだろうと思うわけですね。

ジョニーが見てきた世界と私の見てきた世界、はたしてそう違うだろうかと思うわけですね。

二人の過ごした灯台に私もいたと思った。それは錯覚ではなかったろうか。二人の見てきた思い出私も見たと思った。それは錯覚ではなかったろうか。私はジョニーを知っているなんて言えるだろうか。リヴァーを知っていると言えるだろうか。二人を人生を上から見下ろして、勝手に見てきたつもりになっていたのではなかったろうか。一緒に降り立つ事もなしに、勝手に一緒にいるつもりになっていたのではなかったろうか。二人の会話を立ち聞きするだけで、二人の事を知っていると思っていたのではなかったろうか。何でも見て知っているようで、何も見ても知ってもいなかったのではなかったろうか。そう思えてくるわけですね。我々が馴染んでいるRPGの語りの形式、上から見下ろして何でも見通してしまうその目線の危うさを、『トゥ・ザ・ムーン』は揺さぶってくるわけですね。

ですから、二人が本当に出会う場面、カーニヴァルの夜、あの満月の夜、二人の子供がその満月を見ながらささやきあう場面で、私はどうしても胸が一杯になってしまうんですね。というのもここで、お話の中でここだけ、キャメラが上から見下ろす事をやめて、二人の座っているところの後ろに、そっと降りてくるんですね。二人の寄り添って、二人に目線を合わせて、ただ一度だけ、二人の見ているのと同じものを、プレイヤーも見る事になるんですね。

ですからこの場面はとっても、とってもきれいな場面なんですね。そして悲しい場面なんですね。ジョニーはリヴァーのそばにいてあげる事ができてたんですね。同じ目線で同じものを見て、心を交わす事ができたんですね。それでこの二人の子供のしゃべっている台詞が、本当に詩的で見事なんですね。星の光はみんな灯台、とリヴァーはこう言うわけですね。星の光はみんな灯台、寄り合いたいけど動けない、話しあいたいけど届かない、だからお互いに光りを送って、お互いを照らすのよ、だから星って光るのよ、とこう言うわけですね。それで私、いつかはその灯台のお友達になってあげる、と、こう言うわけですね。ここは本当に美しい脚本ですね。

こんな話リヴァーは初めてしたんですね。そんな相手はジョニーだけだったんですね。それで別れ際に、来年もきっと会いましょう、同じカーニヴァルの日。同じ時間。同じ場所で、きっと会いましょうと、こう言うわけですね。そうすると、ジョニーが、でも道に迷ってしまったらどうするんだい、と、こう聞くんですね。リヴァーは、もし迷ってしまったら、お月様のところで会いましょう。二人で夜空に星座を作った。大きな大きなウサギの星座を作った。まんまるのお月様はウサギの立派なお腹です。そのまんまるのお腹のところでお会いしましょう。こう言って別れるわけですね。

ですからジョニーの願い事は、『トゥ・ザ・ムーン』月に行きたいという願い事は、もう一度リヴァーに会いたいという、そんなジョニーの無意識の願い事だったんですね。ジョニーは道に迷ってしまった。だからもう一度リヴァーに会いたい。月の上でリヴァーに会いたい、それからもう一度、自分自身にも会いたいという、これは痛烈な願い事だったんですね。でも、その願いはついに叶いませんでした。キャメラは二度と降りてきませんでした。それを知っていますから、この話は私悲しいとても悲しい、悲しいなあと思って見てるわけですね。そういうところが本当に立派に、よく作られた作品ですね。

誰かと一緒にいるとはどういう事か。自分自身と一緒にいるとはどういう事か。小説でしたらどんな名文で表現するでしょうか。映画ならどんな光と動きで表現するでしょうか。『トゥ・ザ・ムーン』はそのようなテーマを、SFやミステリーやノスタルジーを混じえながら、ゲームという形で語ってくれるわけですね。それもパラメータを変えさせたり、順番を入れ替えたりとかいう、いかにもゲーム的な手法はを使わずに、一つの物語の形式を選ぶ、一つの形式を選んでそれを一回だけ破ってみる事で、こんなにもお話というのは見事に表現できるのかという、そんなところがものすごく勉強になる、そういう作品でしたね。という事で今夜は、『トゥ・ザ・ムーン』のお話をいたしました。

……。

何?

何ですか。……あらそう。そうなの。まだ時間が。すみませんね。

というわけで皆さんまだ時間があるそうです、どうしましょうか。もっとゲームの話しましょうか。

何か質問はありますか。何でも聞いてくださいね。ゲームの事でしたら、私何でもしゃべりますよ。

……あら皆さん、シャイなんですね(笑)。

困りましたね。そうですね。じゃあもう一つだけ、『トゥ・ザ・ムーン』のお話しましょうか。

ジョニーの願いの本当の意味がわかった後、白衣の二人は努力の甲斐ありまして、ジョニーが月に行ける方法を見つけるんですね。こんなお話をした後に、字面そのままに月に行かせるという事が、いかにも日本の考えとは違って面白いんですが、それで、ジョニーは月に行く。月に行くように記憶が組み替えられていく。よかった。願いが叶う。でもそれはそのまま、ジョニーの本当の記憶、本当のリヴァーの記憶が消えていく事でもあるんですね。二人が生きて、すれ違って、死んでいった、本当の二人の人生が、消えてしまう事でもあります。それが良い事かどうかは私は申しませんよ、でもこれはとっても怖い、怖い、怖い場面なんですね。

そんな場面ですけどここにローラ・シギハラの歌が入るんですね。ローラ・シギハラ皆さんご存じですね。『プランツ・ヴァーサス・ゾンビーズ』で主題歌を歌いましたね。かわいらしいかわいらしい歌を歌ってましたがここではしっとり、しっとり透き通るような声で切々と歌うんですね。この歌とってもきれいなの。それでこの場面、とっても怖い場面なんですけどとってもきれいなきれいな、美しい場面になるんですね。二人の世界が組替えられていく。二人の世界が消えていく。そこでこんな歌を歌ってるんですね。

この世界が消え去ったら
二人で月だけを眺めているんだ
一緒に空を飛んでいこう、ってお願いするんだ

星たちがみな流れ落ちて
夜空がからっぽになっても
気にはしない

あなたがわたしと居てくれれば
何もかも大丈夫

ロマンチックですね。センチメンタルですね。ですから皆さんがもしこんなロマンチシズム、センチメンタリズムとうまくやっていける様でしたら、『トゥ・ザ・ムーン』是非ともお楽しみになったらと思います。というのもつまり『トゥ・ザ・ムーン』は、「わたし」と居てあげられなかった「あなた」、「わたし」と居たいと願って他なかった「あなた」、その願いの決して叶えられなかった「あなた」のお話なんですね。

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